蚕が国を支えた

日清、日露戦争へ日本が進むのに膨大な金がかかった。

それを支えた輸出に生糸があり、世界遺産になった官営富岡製糸工場なる巨大な工場も建設されたようだ。
当地でも、水田を持たない貧乏な農村地帯ゆえに、蚕を育てる養蚕が盛んであった。

明治29(1896)年、地元の奥津村の財産家が寄り、「奥津製糸合資会社」が設立されて、200名の女工らにより操業された。田舎では大工場であった。

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ここの製品は、岡崎の大工場にて集められて、横浜から海外に輸出されて外貨獲得の一翼を担い、日清、日露の戦いを勝利に導いた。

第一次世界大戦の影響を受けて、昭和12(1937)年、工場は閉鎖された。

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その後は設立役員のひとりの稲垣家が引き取り、果樹園、牧草地などと引き継がれたが、地域の産業の草分け的な歴史ある跡地、そこらを鑑み、市に跡地を寄付されて、市が憩いの公園として整備、開放していただいた。

今は子供、老人に至るまで明るい声の絶え間がない。ここを周回することが小生の朝のウォーキングだ。

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三十年以内に70パーセントの確率で発生される地震の、被災者用の仮設住宅の予定地ともなりうるような噂が・・・・聞かぬわけでもない。
天のみぞ知る、余計な頭は使わぬことだ。

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この記事へのコメント

グランマーあいこ
2017年05月28日 19:50
 大相撲にうつつをぬかして居ました。
富岡の製糸工場には世界遺産に登録される前と登録後の2度行きましたが 登録後は周辺の道路なども整備され綺麗になって居ました。
 岡崎にも立派な工場が有ったのですね 知りませんでした 世界遺産に成らなくても跡地が立派な市民の為の公園に成って良かったですね。
 小島さん 健康維持のためのウオーキング 早朝ならこれからもあまり暑くないと思いますので ぜひお続け下さいね。
 
yoshiyuki
2017年05月29日 07:15
あい子さん、
お話の通り、老人の意識より、実際の体力は落ちています。
俺に限ってーーは通用しませんね。日中の運動は、気をつけなくちゃあ、

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