あるがゆえの苦しみ

三代相続が続くとゼロになるーーとか聞いたことがある。

画像


町内の旧家で大きな構えのA家が、まさにそうである。何代か続いた素封家で知られる。
先代が兵隊で入営した時に、「A!お前の家は財産家だと聞くが、どのくらい土地があるか?」
上官の問いに「ハイッ、35町歩であります」と答えたという。

大地主になれば、自分の土地、他人の土地を踏まずとも街まで出られたーーーという地主もあるが、近くのA家は35町歩あった。

年貢を小作が秋に運び込む米俵で蔵の二棟が満杯だったと、爺さんが聞かしてくれた。
我が家はA家の小作で成り立っていたという。

爺さんが我が家に養子に来て、小作料として米で収め、余った米を売り、それが生活の柱とした。

一年に一反につき年貢は何俵と決められていた。テレビの水戸黄門の物語は、現実には、つい、この間のようだ。
不作の年は苦しい。年貢を収めれば残りが少ない。そこで地主に「少し年貢をまけてください」と頭を下げて交渉する。

爺さんはこれが一番嫌だった・・・・と言ったことがある。

画像


学もなかったが、頑張り屋のじいさんは、地主から買い取って晴れて自作農とした。少ない面積であるが、年貢の心配は免れた。

が、やがて終戦。マッカーサー占領軍司令官により、財閥解体で農地解放があり、小作農には強制的に、いま借りている土地を払い下げられた。否応なしに小作に安い値で買い取らせた。

以来、地主の蔵が米俵が積まれることはない。

爺さんが「なあ・・・世の中の出来事で、隣りの蔵が倒れるくらい愉快なものはないぞ」と教えてくれた。

人間の性に、妬み、嫉妬心は必ずある。栄耀栄華を誇った何かが倒れるときには快感が沸くものだ。

A家がそのようだ。固定資産も莫大、住む人は先代のおお奥さま、息子さんの二人。息子は後輩だがヘルニアで動けない。大奥様も先日亡くなった。

後輩が語った。「とても持ちきれない」、兄弟に分けて蔵が二棟に座敷、母屋に別屋に広大な土地屋敷を 更地にして整理すると弱々しく語った。これらのものが無くなるという。

画像


後は何軒かの分譲住宅が建つだろう。

彼が生まれついたのが大地主の家だった。ただそれだけだ。
もったいない!昔の物が散っていく。大正、昭和の日本の建築文化の散華だ。

この気持ちと爺さんの言葉が複雑に交差する。










この記事へのコメント

グランマーあいこ
2017年06月30日 20:47
小島さん
 私が当地に移り住んだ昭和43年(48年前)頃には茅葺屋根の大きなお屋敷を何軒か見かけましたが 今では1軒も有りません。
最初の住まいは小高い山を江ノ電が分譲地として売り出した一画に建てた一軒家でしたが 現在は空き家が目立つようになって居ます。
 当時はカエルの声が煩い程の田んぼだった所にはマンションが建ち 主人を亡くして移り住んだマンションは 高台から見下ろして居た平地の地主さん2人が等価交換で12室保有し残り32室が売り出されて居ました。
 其の後も相続対策で地主さん達が建てたマンションが何棟も増えました 個人的に知り合った遺児仲間は商店街に貸店舗や民宿に駐車場等を10年前に引継ぎ 本宅と別荘の2軒も維持して居ますが ご主人を亡くし2次相続の娘さんが友人の死後 全てを維持して行けるかどうか税理士さんと娘さんに任せると言って居ます。
 現在私が娘たちと別居して住んで居るサービス付きマンションも この辺りでは有名な大地主さんが不動産会社とタイアップして建てた47室の賃貸マンションです。

yoshiyuki
2017年07月01日 05:46
あい子さん、
全国どこでもある問題でしょう。
あるがゆえの悩みでしょう。先日も伺ってきましたが、仏壇もすごい。先代が仏壇が心配だと言い残されたーーーと、当主の話でした。