母の日、つい燕詩を思い出す

母の日も済んだ。
チラシに「母の日に・・・」と勧める商品の広告も、今日からもう見当たらない。

家内には次男から「嫁が婆ちゃんにーーと」きれいな袋に入った洗剤セットが届いた。
きっと婆さんは内心嬉しいでしょう。

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今年はうちの嫁からは届かなかった。同じ屋敷に住む仲だから改めてはーー
孫が入籍だけ済ませ、彼女の家から戻ってこない日が多くなってしまい、心中、何か思っているだろうか。

義理の母と言え、ほとんどの年には届いていたのに、やはり、孫が入籍し、それを契機に彼女との暮らしに軸足を移したことが、心中に影響を及ぼしているのだろうか。
そうとすれば、母の日のことなど頭に回らないのだろう。

今までも玄関ポーチの電灯が、孫が帰宅するまで点けられていた、その明かりが遅くまで消されずに点いている。今も息子を待つ彼女の心が見えるようだ。

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内心は帰りを待っているのかーーーはやく寡婦になり、爺婆がそばで応援はしたが、彼女独りでふたりの孫を立派に育ててくれたのに・・・

ふと、白楽天だったかの「燕詩」を思い出した。

ー 燕よ、燕、 嘆きたもうな ー

己自身もそうだった。
思い出せば自身も、親が叫ぶ声を振り向きもせず、飛び立ってきたではないか。
残された親の気持ちを今、あなたは、私は知るのだ。

若き日、自分が背いた親はもういない。

そういえばそろそろツバメを見てもいいのに、まだ見たことはない。
とても「ケーンケーン」とは鳴いているとは思えぬ雉ばかりが目立つ。
時代が変わったと片付けていいのか、今の環境なのか。




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