テーマ:牡丹江

懐かしい牡丹江という響き

目も悪くなったし、新聞以外の特に満州物は読むまいと決めていたが目にとまった。 「懐かしい牡丹江という響き」・・・の文字で。 小説「祖国の選択」城戸久枝著 一月に発刊され、アマゾンからいま届いた。 残留孤児、残留婦人、父の城戸幹氏の歴史などがオムニバスで書かれている。 牡丹江は助産婦であった方の足跡。忘れられかけて…
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中国旅行・ハルビン・牡丹江 その2

Mさんのお父さんが満鉄社員で独身時代の勤務が牡丹江であったという。 Mさんの父が過ごしたかもしれない面影を追う。まだ残された満鉄社宅を訪ね、その廃屋に近い姿に驚く。しかも住人がいるのだ。 日陰で屯している老人から声が飛んだ! 尖閣列島のような日本人に対しての非難の声かと思ったら 「こんな家でもまだ住んでいる中国人もいる…
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中国旅行 ・ハルビン・牡丹江

7月24日に中部空港から新潟に飛び、新潟からハルビンへ・・・・・珍しく帰国後に腹痛で苦しみ、やっと回復した。 YS11以来のプロペラ機。思うほどの振動もなく快適な空の旅。 新潟はまだ梅雨明けでないのか、どんよりして梅雨空の感、日本も各地で集中豪雨でどこかおかしい。 新潟からは中国南方航空に乗り換えていよいよハルビン…
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牡丹江から鶏西へ、火車の旅

今回は牡丹江から鶏西へ汽車旅を選んだ。 何度か来ていたが、汽車旅は久しぶりだ。 親父に連れまれて来た時は、もう遠い過去、覚えていることもないが、津島の佐藤さんとは二度来たが、元満鉄マンは早くも鬼籍となられた。 あれ以来、今回は牡丹江国際旅行社の若手ガイドの任ちゃんがパートナー、いきな計らいをしてくれるものだ。孫の世代だ…
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海林弾薬庫の跡を訪ねる

NET仲間のMさんのお父さんは、1945年当時、民間人であったがソ連軍に収容されて、ここ海林の収容所に入れられた。 そこで盲腸になり、兵器廠の弾薬庫が改修された陸軍病院にて手術を受けたが、手遅れで薬石効なく死亡された。 死亡診断書を書かれた軍医が生存であることを、縁があり突き止め、ご高齢の中に、娘さんが代筆で記憶の限りをお伝えい…
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海林市

牡丹江市の隣、ほとんどが地続きのような「拉古」の街に寄った。かつて国境方面から逃げ遅れた邦人が、収容された民間人の収容所跡を訪ねる。 ガイドの説明では、この河の少し上流の位置に収容所は存在した。 あるNET上でも収容所跡を尋ねた訪問記によれば、この河でよく洗濯をしたと、回想録に綴られていた。現在は、汚れた中国独特のどぶ川…
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牡丹江空港

牡丹江へ飛行中に、積乱雲を見た。積乱雲の高さと同じ位置で、きっと、あの中は凄いことになるのだろう。 牡丹江空港は一応国際便が飛んでくる空港である。 牡丹江市街の上を飛んで大きく旋回する。その音を聞いて迎えに出ると丁度いいということを、土地の人に聞いた。 海もないのに海浪空港ともいう。日本でも海がない岐阜県の瑞浪市、…
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牡丹江に突入した避難列車

昨年、6月のこと東満に旅をした。 その時に牡丹江に架かる浜綏線の鉄橋の跡を訪ねた。橋の両岸を守った関東軍守備隊のトーチカが見たかったからだ。それは、あまりにも頑丈で、現在もなお、そびえていた。         牡丹江を渡る満州鉄道 トーチカにはソ連軍に砲撃された砲弾の跡も生々しく残っていた。 この橋にまつわる記事をコ…
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中国東北訪問記 やっと刊行しました

6月に趣味人倶楽部の「満州を偲ぶ会」の有志で、旧満州の牡丹江より以東の地を巡った。 その関係者で、記憶が新しいうちにと、それぞれが懐旧の地の印象を書き、メンバーの想いをまとめた。この節のこと、パソコンのワードで原稿、写真で構成し、ネットを通じて印刷を頼み、メンバーでそれぞれを分けた。 予算的には、主宰のマロンさんが特別の後押…
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6/22  さあ、東満の牡丹江から

朝の歓迎は雨だった。 クラックションが少しは減ったが、相変わらずの混雑ぶりと、運転のうまさだ。 仁兄の王治普氏の訪問をうける。もう二十年の交際を得て、中国における己の身体の一部になっている。 同行の鈴鹿市の森Qさんの父上が海林の収容所で亡くなり、追悼の場所を最初に尋ねた。 関東軍の弾薬庫の跡だという、森Q…
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北へ飛ぶ 南海航空

北の果ての飛行場に、南の南海航空がフライト、ゲートも一番端のゲートは昔と同じだった。 牡丹江空港は夜の9:00 朝、名古屋を発って夜には目的地に着くとは便利になった。なんとなく涼しい。 U氏は67年ぶりの牡丹江、小さい頃はこの空港で遊んだとか、今浦島太郎が上陸の一瞬。 一夜明けの東北の雪城牡丹江市の朝、…
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いざ! 今年は旧満州へ

趣味人倶楽部の「満州を偲ぶ会」の有志で牡丹江中心の中ソ国境の旅が決まった。 中には父親が終戦後、牡丹江近くの海林市陸軍病院で亡くなった方の遺児の方も希望をしてみえる。まだ、まだ、戦後が終わっていない方も大勢いらっしゃるのだ。 健康で行けるうちは、とうに五十回忌は過ぎたが、霊をなぐさめる一助になればと、ここに行ける喜び…
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伸び行く牡丹江市街(絵はがき)

数年前に、ネットの友人からいただいた古い絵はがき。 先輩の彼が、かつて在住した牡丹江の絵はがき収集家であり、そのHPも有名であった。 頂いた折に、牡丹江の中国人の友人に送った。古いものの価値を感じたからだ。 友人は牡丹江近在では有名な劇作家。縁があって汽車で知り合い、以来、友好が続いている。 彼が、「牡丹江晩報」とい…
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満州東安の同級生の手記

数日前、「母への懺悔」というタイトルの本が贈られてきた。280ページの上質装丁本だ。バーコードが付ければ立派に書店で流通するという内容の手記。 贈り主を見て、以前、連絡を取り合った方と分かった。旧満州の東安で同級生であった方だ。 あったはずの方という、あいまいな記憶しかないからだ。 とりあえず、10年ほど記憶を戻そ…
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届いた牡丹江の画像

祖父に当たる戦没者慰霊のために、叔父、叔母を伴い牡丹江に行かれた、一関市の渡辺様よりお土産に画像をいただきました。 画面からは中国の匂いがただようのを私は嗅ぐことができる。普通の人にはない能力がいつの間にか身についてしまったのだ(自画自賛)。ご一同様がご満足いただいたお礼のお便りが添えてあって、ご紹介した甲斐があって喜んでいる。これも…
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NHK・はるかなる絆

残留孤児を父に持つ娘が中国長春に留学をした。 父が帰国までを過ごした牡丹江近くの頭道河子(づどうかし)の親戚を尋ね、父が中国で過ごして私(著者)に連なる歴史を訪ねるというストーリーだ。 あの近辺には王道河子とか、二道河子、○○道河子とか、このような地名が多いのは、なにか特徴があるのだろう。 城戸久枝著 「あの戦争から遠…
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代馬溝という地

中国・長春に駐在のtokouさんという方からいただきました画像です。 My・ホームページから尋ねられて、叔父の戦死地を訪問されたお礼としてメールで届けていただいた。 画像からは涼しさが感じられる。こちらは連日の猛暑だから、願望も交えて感じるのかも知れない。 代馬溝は磨刀石と共に、士官学校の生徒が爆弾を抱いて、ソ連戦…
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