テーマ:歴史

幡豆のたんぼアート 鳥羽の火祭

昨年も見たが今年の「たんぼアート」を撮影に行った。 高い位置から絶好のロケーションの地であるが、本年はテーマからイマイチ感。 市の観光の目玉の火祭りで、その起源は約1200年前とされています。 お祭りは、境内に高さ5メートル、重さ2トンの巨大な松明「すずみ」が2基設置され、斎戒木浴で心身を清めた「神男」が、…
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おーいーー!

今朝のこと、友人の訃報を聞かされた。 SNS上で知り合った”満州”で少年時代を過ごした連中の集まりだ。 掲示板を作り、そこで満州の思い出や、日頃の他愛ない話など、書き綴っては笑い転げ、少年の心の満州時代に戻っていた。 東海三県に住まう連中は、時折寄って親交は深くなっていたから、彼が癌であること、彼から余命半年と宣告され…
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新東名を行く 長篠サービスエリアへ

もう空いただろうと、爆発人気でパーキングが満員状態であった。長篠古戦場近くに設けられたサービス施設に行った。 長篠城を救わんと徳川、織田連合軍が、長篠の少城を攻める武田軍と、両軍が正面で対峙した設楽原を眼下に建てられた、テーマーパーク的な休息所。 やはり連休や土、日を避けた甲斐があり、駐車場はガラ空きだった。 本来の目的は…
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於大の里を訪ねて

家康の生母でありながら、戦国時代に翻弄された運命のひと、「於大」の里に行く機会を得た。 おだいは城主水野忠政の緒川城(愛知県知多郡東浦町緒川)で生まれた。 今は土塁が残るのみである。 尾張の雄信長と、天下を狙う今川との接点である三河と、尾張の小領主たちは、狭間に生きる荒波にもまれ、また家族や女性も同じで…
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歴史物語を歩く

アマゾンから届いた「歴史物語を歩く」、新聞で紹介されて注文していた。 普通に書店に頼めば10日は要する。忘れてしまいそうだが、それが宅急便で今届いた。 この田舎でもアマゾンは早ければ翌日。二日もあれば届く、本屋さんも苦しいだろうなーーー世の中、いろいろ変わってきた。 まあ、それよりも内容はそれぞれの歴史の地が、一コー…
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戦後七十年 渥美半島と戦争展

先の大戦終結より七十年の節目の今年。渥美半島が戦争に関わった資料展が開催された。 伊良湖岬の先端は、”名も知らぬ遠き島より流れよるヤシの実ひとつ・・・♫”島崎藤村が書いた詩情豊かな「椰子の実」の舞台の、岬の恋路が浜も、かつては陸軍の一大試射撃場であり、新しい砲を試射、弾着点の観測所、気象、監視、通信などの幾つか…
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半田「赤レンガ館」

半田に用事があり、改造されて常時オープンされているという「赤レンガ館」を見学に寄った。 どこ行っても暑い、暑いという言葉しか出ない36度の気温の日。 外から見る威容はいつも圧倒される。明治31(1898)年にビール工場として建てられたという。 西郷隆盛像が建てられたのもこの年という。110数年を経て健在で、…
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民話の田んぼアート

幡豆の民話の「田んぼアート」 今年も小学生による力作。郷土の民話「抱き地蔵さん」と「証文岩」をテーマに古代米など4色、緑、紫、白、黄色を使い田んぼに展開された。 左の「抱き地蔵さん」 願いをかけて抱いた感触が軽ければ、願いが叶うという信仰の一種、それが幡豆で民話として伝わる。 右は「証文岩」 …
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「清須越し」を訪ねて

この歳になるまで「清須越し」という言葉を知らなかった。知っていたが忘れていたのか?・・・いや、まだ惚けちゃあいない。 「宵ごし」に「ノドごし」等の冗談も言える。 清須城下が城から寺社、商家、民家に至るまで、地盤が強い今の名古屋に、慶長14年(1609年)から数年で家康の命で完成し、現在の名古屋市の基礎となった。その清須城…
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あたらしい街路樹

台風が去って一回り歩いてみた。 新しく区画整理事業の都市計画に沿った新しい道路に、新しい街路樹も植えられたが、ひときわ目立つ街路樹が立っていた。 葉がソーラーパネルで剪定も要らず、しかもエネルギーを産む新しい街路樹だ。 新しい使い慣れぬ言葉で言えばオブジェというのか、時代の変化を感じる。自分の表現でさえも変化の…
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今川のルーツを訪ねて

今川義元の今川家の発祥の地は西尾市今川町である。 今川は三河を離れて遠州に居を定めて幾星霜、天下を狙い上洛を阻む織田信長と桶狭間で一戦を交えます。が、結果は歴史で明らかです。 ただそのあと、数少ない人しか知識が無い事は、西尾の今川町が発祥の地ということ。 討ちとられた義元の首はさらされた後に今川勢に返されます。遠州に首が運…
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矢田のおかげん

今日は矢田の”おかげん”の日。 西尾市下矢田町の「養寿寺」の涅槃会の日。かつては大賑わいだった。境内隙間のない程の露店、着飾った人々の参拝客。2キロほど離れた駅から続く人の群れ、駅から方向を尋ねなくても人に続けて歩けば良いくらいだった。 おかげんの語源は雅楽の管弦から、「かんげん」がつまって”おかげん”となり、土地で…
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西尾城 天守閣石垣復元

ゆっくりと自分の足並みのようだった春も、ここに来て走り出したかのようにスピードがアップされた。 つい最近、公開された城の天守閣石垣が復元されたのを、散歩の延長で見に行ったが、まだ桜は見ごろには遠かった(28日)が、吹く風は春を感じさせ心地よかった。 そもそも西尾城の歴史は、1221(承久3)年三河守護足利義氏によって築城され…
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幕末の大誤解

NHK大河ドラマで会津藩の物語を放映し、相変わらず幕末の志士の活躍はウケがいい。 同じ思想の国を思う立場の国会の先生方、議員数を減らすことさえもできない。テレビを通じ国民に約束したことさえも守れない情けなさ。 憲法違反と断定されていても、違反の先生が憲法を論じる資格があるのか。 住民投票だって、過半数にいかないから開票…
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私の8月15日展 高浜市かわら美術館

開催中の「私の8月15日展」を見てきた。 地場産業の瓦、昔のいぶし瓦の一大生産地であったが、新しい洋瓦に代わっても健在だ。 かわら美術館とは、製法は近代化されてオートメーションの時代、昔の職人技の保存と展示もかねた美術館。 日中国交40年を記念しての開催、 漫画家・作家たちの絵手紙、彼らが迎えた8月1…
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日本一 農村風景 景観

日本一という「一」と付くものには毎日見られるというものでははない。 農村風景として、恵那市の”女城主”で有名な岩村町の富田という地が、日本で「一」という栄冠を公表した。              岩村城       田植えも終わったころと推測し、見学に行った。    展望台も完備していて、見ればど…
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我が家の前の道 伊能忠敬が測った!

市広報が配布されてきて、今月の号に目がとまった。 市内の”古を探る”というコーナーで、伊能忠敬の市内調査とあった。 これによれば、第七次の調査は文化八(1803)年、西日本の調査を終えて、美濃、三河に入った。 平坂湊から平坂村の古居八右衛門宅前から楠村・羽塚村・住崎村・そして城下に入り、須田・本町・横町の深谷宅まで…
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ついに汗の「郷土の歴史」発刊。 ”織田信長が鷹狩りに来たという町”

昨年から続けていた郷土の歴史書が完成した。「織田信長が鷹狩りに来たという町」と、サブタイトルも私が付けた。 開村800年、新村と合併300年の節目に、町史を出す計画が湧いたのが昨年のこと。 そんなに手出しをしなくても、町内の若い人たちが何とかするだろうと思っていた。が、結局はOLDの私が資料、写真が揃っていて、90パーセ…
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武将終焉の地「横旗」 信玄塚

三州街道を飯田に走って根羽という山間に横旗という地名がある。 甲斐の国の武田信玄が天下とりを夢見て、三河を攻略し、東海道を京をめざそうと考えたのか、三河の野田城を攻めたが病に倒れた。空しく甲斐に帰る途中のこの地で果てたという。 俺が斃れたことをことを隠せ、と命じたというのは、黒澤監督の映画「影武者」だった。 そのと…
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国森遺跡と矢田城の発掘現場を見る

隣町に新しく施設ができる事前調査で、つい最近遺跡が発見された。 今日は説明会と言うことで、一端の考古学者気取りで見学したが、予想以上の見学者で驚いた。 このあたりは昔から古跡のあるところは知っていた。貝塚も多く出て、古くから人が住んでいた。 我々の祖先だ。 だが、今回は城郭と思われる溝も併せて確認された。 …
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歴史二題 今川&土井

やっと訪れた春の陽気にチャリンコで散歩・・・・ 市内に今川町がある。町名の由来は今川義元の今川家の発祥の地とされて、町名が今川町となったという。 義元といえば桶狭間で信長に討たれて上洛の夢がついえた武将。織田信長はこの合戦で電撃デビューをかざった。今川町が名前だけを語って、夢をつないでいる。 途中で見つ…
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明治トンネル 宇津ノ谷峠

昔から宇津の谷峠にまつわる歴史に興味があった。 古代は「つたの細道」、秀吉の小田原攻めで拓かれた東海道。有料だったトンネルは明治の文化遺産、昭和、、平成と三代のトンネルの存在。 ハイキングバスで一日を楽しませてくれた。実に楽しい!愉快!愉快! 「宇津ノ谷随道 」「宇津ノ谷随道」のビデオpowered by @n…
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鳥羽の火祭り

小さな村だが1200年も続く火まつりがあり、昨夜、行われた。 福地、乾地と呼ばれる二地区ですずみの燃え具合を競い、農作物を占うもの。国の無形民族文化財の指定がある。指定の伝承は住民には大変な負担だ。 見物客の近くのおばさんが、迫力に陶酔し興奮状態で、火事と間違えて「水かけろ!水かけろ!」火の粉が散るのを見て、「アッチ…
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明治用水サイクルロード

矢作川から分水し、かつての日本のデンマークと呼ばれた三河平野を潤した明治用水。都市化に発展すると、生活用水と分割する必要性が生じた。そこで用水は地下にトンネルで配水されて、地上はサイクルロードとなり、愛知県でも有数の長さを誇るロードとなった。 一日、老骨が歩いてみた。 桜井南駅付近で西尾側から1,3Kメートル地…
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鎮守の森

♪村の鎮守の神様の・・♪という学校で習った歌の一節に、神社の森は村の人々を守る森であった。            神社遠景 自然の荒野に人が住み着き、自然を拓いては耕し、一種の自然破壊で祖先は生きてきた。しかし、必ず手をつけてはいけない聖域を知恵で設けた。それが”鎮守の森”であった。 鎮守の森は世界からも認められて、鎮…
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家康寄進「天満宮御影」

                 市指定文化財 徳川家とは縁の深い校区の下矢田町の養寿寺にて公開される。 左遷されて大宰府に向かう菅原道真の坐像。それは怒りに満ちた眼で険しい表情だという。 寄進は慶長七(1602)年、形態は掛け軸、花押ともに「…
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