テーマ:満州

新年会 かに本家

名古屋の「かに本家」にて、満州の王道楽土で育った仲間が寄つた。 久しぶりの名古屋、ちょっと早めに行って、ぶらついて青春の頃、先輩と歩いた思い出の通りを歩いた。 今日は気温も下がり、襟を立てて足早に歩く人々。その中の白髪の老人は私。人生のラストコーナーを回ったのだが、満州で少年期を日本の難局の一頁の目撃者なのだ。 そんな…
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おーいーー!

今朝のこと、友人の訃報を聞かされた。 SNS上で知り合った”満州”で少年時代を過ごした連中の集まりだ。 掲示板を作り、そこで満州の思い出や、日頃の他愛ない話など、書き綴っては笑い転げ、少年の心の満州時代に戻っていた。 東海三県に住まう連中は、時折寄って親交は深くなっていたから、彼が癌であること、彼から余命半年と宣告され…
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「満州バカ」につける薬

バカの語源には諸説あるようだ。 ○○バカ・・・という度を越した行動。 バカなことをしたものだ・・・という否定。 バカ者・・・という軽蔑。・ バカ野郎・・・という罵倒。 ・・などなど、バカでも挙げられるバカがあるのは、有名な「釣りバカ日記」に「天才バカボン」など、私もバカなことは幾つもしたし、今もしている。「満州バカ」が…
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旅の友 ご苦労様でした

ふと気付いて確認をしたら、やはりパスポートが切れかかっていた。 来月がアウトだ! 思えば全部が中国のスタンプだ。それ以外は行く必要がないのだ。 中国旅行目的が専門のパスポートがあれば、そういうのがないかなあーと思う。 子供時代過ごした密山、鶏西、牡丹江、ハルビン、長春。そして通過点の北京、上海、瀋陽、青島、 …
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涅槃で待つという言葉

満州での少年時代を過ごしたネットの仲間五人の集まりができてから数年経つ。時折寄っては昔話、思い出を語り合った。少年ながら敗戦国の外地という最悪の体験をもつ者ばかりだ。 その中のひとりがかなり前から肝臓がんを患い、現代の医学の最高の手当てを受けて、肝臓にできるガン細胞を片っ端から焼いては、だましだまし闘病を長く続けていたが、年明けの…
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満州時代の子供が集まった

あるサイトで満州を偲ぶ人たちの集まりがあって、東海地方だけの体験者だけの集まりができた。 年代は満州の時代背景から大差ない。体験も共通している。敗戦、逃避、引き揚げ、戦後などは、百人百様の人生であるが、あの時期を過ごしたものだけが体験できる一本の見えない糸が繋いでいる。 今回は小生に幹事が回ってきた。 孫の婿が営業で働…
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懐かしい牡丹江という響き

目も悪くなったし、新聞以外の特に満州物は読むまいと決めていたが目にとまった。 「懐かしい牡丹江という響き」・・・の文字で。 小説「祖国の選択」城戸久枝著 一月に発刊され、アマゾンからいま届いた。 残留孤児、残留婦人、父の城戸幹氏の歴史などがオムニバスで書かれている。 牡丹江は助産婦であった方の足跡。忘れられかけて…
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殉国七士廟を訪ねる

少年時代を満州で過ごした友人たちと、日本の中央にあたる愛知の三ヶ根山山頂の戦没者祈念碑のご案内をした。 比島戦没者中心の慰霊碑の数々。なかでも一番関心を抱いたのは「殉国七士廟」。 改めて所在をご承知いただいた。 宣伝もしていないし知らなかった方は当然だ。 敗戦の後、戦勝国の連合軍により通称東京裁判により、七氏がA級戦犯と…
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「遠い約束」を見て

事実の積み重ねによるエピソードは、確かに多くのことが共有できた。 戦後の親なし子たちの集団生活、孤児院は見たことがなかったから言えないが、悲惨さは想像がつく。あの寒さから逃れるために、背丈ほどの雑草を刈り、わら布団を作った。 大人と女性が頭を働かせてこその知恵であった。 みんな暖房のために草刈に出た。家計の足し…
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野蒜

ノビルの一番の旬が来た。これも思い出の味覚だ。 1946年、満州・新京の南湖の辺で、弟を連れて野草を採るのが子供の仕事であった。 難民生活中のひとこまだ。 このノビル、あかざにタンポポ、たんぽぽのおひたしは最高だった。そうして生きてこられた、というありがたい食べ物なのだ。 何年か前に牡丹江の奥に行った…
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草の根交流

何人かお世話した中国からのお嫁さん、家庭状況はいろいろであるが、生活はまずまずであるのに、母親さんが大の日本びいきの方。ご自身も娘時代は着物姿に笠をさした写真を撮ったくらいの大フアン。 娘さんを就職先の南の企業から帰郷させて、日本人とのお見合いに備えさせたという周到ぶり。その甲斐もあり、ハルビン工業大学卒の秀才、嫁いで数年なのに既…
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夾竹桃が真っ赤な8月15日

終戦記念日、地区の慰霊祭が神社で行われた。 連日の35度という猛暑の中、今年も行く道の家の夾竹桃が、庭先で真っ赤に咲いていた。終戦の日の正午。玉音放送はラジオから静かに伝えられた。 内地では、夾竹桃が真っ赤に咲いていたという。 満州での8月15日は、長春の駅前の銀行のロビーで密山からの団体は死んだように寝ていた…
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中国旅行・ハルビン・牡丹江 その2

Mさんのお父さんが満鉄社員で独身時代の勤務が牡丹江であったという。 Mさんの父が過ごしたかもしれない面影を追う。まだ残された満鉄社宅を訪ね、その廃屋に近い姿に驚く。しかも住人がいるのだ。 日陰で屯している老人から声が飛んだ! 尖閣列島のような日本人に対しての非難の声かと思ったら 「こんな家でもまだ住んでいる中国人もいる…
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中国旅行 ・ハルビン・牡丹江

7月24日に中部空港から新潟に飛び、新潟からハルビンへ・・・・・珍しく帰国後に腹痛で苦しみ、やっと回復した。 YS11以来のプロペラ機。思うほどの振動もなく快適な空の旅。 新潟はまだ梅雨明けでないのか、どんよりして梅雨空の感、日本も各地で集中豪雨でどこかおかしい。 新潟からは中国南方航空に乗り換えていよいよハルビン…
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滿蒙開拓記念館

今年の春に長野県飯田市にオープンした「滿蒙開拓記念館」を満州仲間4人で見学をする。 貧村を多く抱えていた当時の長野県は満州に開拓団を送り、狭い農地から憧れた多くの農民は満州(現在の中国東北地方)に将来を夢見て海を渡った。 ソ連侵攻で難民となった邦人、中でもひとりの女性が、奇跡的に地獄の逃避行を生き延び、独力で中国残留婦人の帰…
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西方浄土へ

今まで生きてきた人生の中で、大きく影響をしている中のひとつに「満州」がある。 満州を通じて知り合った多くの方の中に岐阜のU氏がいる。 岐阜の中で数ある内では、名の知れた山間の街に住まわれ、共に満州を訪ねたり、消息を伝え合う仲になった親しい満州を故郷に持つ友人だ。 その方が、家内が入院をしたが、大きなことはない検査入…
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満州の丘に立ちて

昨夜はTVで、ロシアに住み戦友の霊を弔う抑留経験がある85歳の男が、追悼の”満州の丘に立ちて”を歌う番組を見ました。あれから68年・・・というナレーションに改めて過去になったという実感を感じる。 不幸にしてこのような歌があることを知らなかった。 早速Youtubeにて検索したら、加藤登紀子をはじめとしてたくさんの歌曲がヒットする…
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満一歳のかけ橋 りゅう君

私の満州時代の幼ともだちの汪翆栄、彼女の縁者が日本に居る。私との縁を頼りに市内に住み、そのひとりは結婚。 旦那さんは北京大学から名古屋大学へ、それで日本のトヨタ系列に就職した。 その二人の間に生まれたのが「りゅう君」だ。満一歳を迎えて我が家に遊びに来てくれた。 しまった聡明そうな容貌、頭が大きくて、中身は優秀な脳ミ…
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今も残る関東軍 温春飛行場の格納庫

ガイドさんとメールの往来で、牡丹江の隣の温春鎮に、関東軍温春飛行場の格納庫が現存していると教えられていた。 今度行ったときに連れて行って下さい、とお願いした話が実現した。 正式には、「中国空軍牡丹江副基地」というような位置らしい。 施設はこれ以外は何もないが、今も空軍の管理下で、この格納庫前を通り、基地官舎の門…
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海林遊覧 東北虎園

虎はこの地方とシベリア一帯に生息した。 その虎のサファリーパークと行ったところ、過去二回ほど見学しているが、中国一の規模と言う。 ガイドさんが言った。「貴方たちが外国人だからエサ代も高いのです」 一羽の生きたニワトリ150元で、虎の群れに与えてもらった。 ニワトリを放つ自動車が近づいただけで寄…
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海林・遊覧 映画城

前から一度見たかった映画城、日本で言う映画村、時代背景が古いのがみそ。 記憶にある今はどこにもない農村の古がここでは復活する。 藁屋根の低い土壁の家、寒さ対策から小さな窓、家を囲む板、杭の囲い、このような家ばかりだった。昔が蘇り嬉しく声を上げた。 番犬代わりのアヒルが警戒心と闘争心むき出…
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海林 遊覧

海林は牡丹江衛星都市として発展中だ。 道は大きく高速道路のように広く、ここに今から企業が入る。 10年経ったら浦島太郎となるだろう。思う存分な都市設計が出来るのが中国国家の強みだ。 大好きなガタガタと走る三輪タクシーもここでは健在で、チップと一緒にマイルドセブンを運ちゃんに進呈したら、Vサインがなぜか裏…
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海 林

牡丹江の隣、海林鎮と言う中国でも知られていない小さい街。 ここを忘れられない人が居る。 知人の三重県のMさん、話は終戦後の20年9月、敗残日本兵を収容した関東軍海林兵器廠のソ連軍収容所。 彼の父親がここにあった弾薬庫の一棟が、臨時陸軍病院となり、ここで死亡した。         小さい街に似合わない五つ星ホテル …
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密山への道

前はガタガタの道路だった。中国の道路で零下20度の地では、アスファルト舗装は使わない。全部がコンクリートなのだ。    密山周辺は穀倉地帯、日本からの開拓団も多く入植した。 このようなことも、時の流れ、見、聞きした人がこの世から去れば、歴史の彼方、忘れられて行ってしまうのか、寂しい気がする。        飛行…
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思い出の密山へ

何度でも通いたい「ふるさと」への道であるが、外国だけに悲しい。           時代は移り飛行場が鶏西にできた。 この線路を通って1945年、ソ連軍の迫る影におびえながら密山を後にした。二度とは帰れないだろうと思ったのだが、私はふるさとに帰ることが出来た数少ない幸せな男だ。       …
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旅先で突然!

旅先で突然、朝の事、足が腫れて痛くて見ればパンパンに膨れていた。 なにがなんだか分らぬが、虫さされ?挫いたか?または他の・・・と考えたが、痛風か? 呑まない男が何故?尿酸値を下げる薬を飲んでいるのに・・・・・ 鶏西紅十字病院に行き診断。血液検査は合格。それは薬を飲んでいるからだ。 限りなく「痛風」と診…
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鶏西市

満州時代は鶏寧といった。 この界隈では牡丹江に次いで二番目に大きい中心地。 私の半年間のホームスティ先の家族、お母さんが残留孤児の縁で知り合い、それを縁に「うちにおいでよ」と息子の部屋を譲ってくれた。 息子も大きくなって、はるかに私を超えた。   駅前の雑踏は相変わらず、いくら見ていても飽きない。…
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海林弾薬庫の跡を訪ねる

NET仲間のMさんのお父さんは、1945年当時、民間人であったがソ連軍に収容されて、ここ海林の収容所に入れられた。 そこで盲腸になり、兵器廠の弾薬庫が改修された陸軍病院にて手術を受けたが、手遅れで薬石効なく死亡された。 死亡診断書を書かれた軍医が生存であることを、縁があり突き止め、ご高齢の中に、娘さんが代筆で記憶の限りをお伝えい…
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海林市

牡丹江市の隣、ほとんどが地続きのような「拉古」の街に寄った。かつて国境方面から逃げ遅れた邦人が、収容された民間人の収容所跡を訪ねる。 ガイドの説明では、この河の少し上流の位置に収容所は存在した。 あるNET上でも収容所跡を尋ねた訪問記によれば、この河でよく洗濯をしたと、回想録に綴られていた。現在は、汚れた中国独特のどぶ川…
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牡丹江空港

牡丹江へ飛行中に、積乱雲を見た。積乱雲の高さと同じ位置で、きっと、あの中は凄いことになるのだろう。 牡丹江空港は一応国際便が飛んでくる空港である。 牡丹江市街の上を飛んで大きく旋回する。その音を聞いて迎えに出ると丁度いいということを、土地の人に聞いた。 海もないのに海浪空港ともいう。日本でも海がない岐阜県の瑞浪市、…
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