三連動地震迫る (中日新聞刊)を読んで

三連動地震迫る (中日新聞刊)を読んで

三月に大津波によって発生した東日本大震災も、半年余りを過ごせば地元以外では衝撃から薄らいで行く。
次の地震想定は、いつ起きても不思議はないといわれていた東海地震に関心が移る。

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史上最大と言われた今回の地震同様の地震が想定される東海、東南海、南海の三つの地震が一緒に起き、
伴う津波が発生したらと警告するのが、この書の中味だ。

ここ東海沖を襲った三連動であっただろうという地震は、過去には300余年前の宝永地震にまでさかのぼる。
富士山の宝永山が噴火した時だ。

今までの研究結果ではM8とされていたが、従来の推定を上回る規模のM9クラス、国内最大級であったという
研究結果が最近発表された。

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                 中日新聞

その規模を、三河湾に当てはめてみれば、防波堤もなかった当時には、湾内深く津波は侵入し、入江、川などを
逆巻いて逆流したに違いない。

陸地からかなり離れた位置の町名「高津波」(刈谷市)など、全然、水の無縁の地にも、これは津波の被害が及んだいわれを示す地名であろう。

当町の隣町の小字名、「水向(みずむかい)」(西尾市)も、水には無縁で小川一本ない地名だ。動詞向かうは水に逆らう意味となるのだが、かって、この地に寺院があって、水害で現在のまた隣町に移転して現在に至ると寺伝が書き遺されているという。移転した時期も宝永の直後だ。

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宝永地震の記録を読み、三河湾に津波が押し寄せる光景を脳裏に描くときに、きっと、寄せて逃げ切れぬ波の圧力は、狭い最後の地で一気に天に上がり、予想もつかぬ高い津波となり、寺院をさらったに違いない。

300年の間、この地震と津波のいわれが伝わった話は非常に少ない。宝永地震の被災者が、高台の当地に
越してきて、殿さまの温情を忘れないようにという、移住者による藩主への供養が続けられている事くらいだ。

記憶から抜けていくこの時期での警告書、副題は「我々は生き残れるか!?」だ。

スイッチひとつで防災無線から警戒警報が東京から流れるという。そのような時代でも、食糧、水にガソリン、
家族の安全は自分でやらねばならない。
予防はできない、自分の身は自分で守らねばならない。

三十年以内に80パーセントの確率で連動型地震は発生すると予告されて、もう、かなり経った。
来月なのか、明日かもしれない。生きているうちに出会わなければよいが、それにしては備えが甘い。
背筋を寒くして読んだ。







この記事へのコメント

グランマーあいこ
2011年10月17日 19:59
 相模湾に面した当地でも嘗て津波に寄り 長谷の大仏殿が流され 現在の様な露座の大仏様に成ったと言う歴史が有ります。
河川の逆流が心配です。

現在の住まいは北鎌倉に近く山に囲まれて居ますが 住み始めた40年ほど前には排水設備が整って居なかったのか 雨台風で低地では浸水個所もありました。

地震に寄る津波も集中豪雨も今のところ免れて居ますが 神奈川県では小田原あたりが震源地になりそうだと何年か前に聞いた覚えが有ります。
yoshiyuki
2011年10月17日 20:49
鎌倉大仏に建屋があって津波で流れた歴史は聞いたことがあります。

思いもかけぬ悲劇も過去を知ることにより、防げることもあるでしょう。
勉強は邪魔にはならないと、勉強しています。

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